レーシック難民になってから経験した苦労

レーシック手術は、コンタクトレンズや眼鏡から解放してくれる手術として知られています。
元々は民間では広く知られておらず、モデルさんや女優さん、スポーツ選手などによって広められたような手術なのですが、近年ではレーシック難民というのもが急増しており、その悪影響はまだ未来のある若い人にまで波及しています。
私も、まだ24歳という年齢なので、【若くしてレーシック難民になってしまった人】の枠に入ると言えるでしょう。
私は中学時代からサッカー部に所属しており、サッカー選手を目指して毎日毎日、泥だらけになりながらサッカーをする日々に明け暮れていました。
しかし、大学受験の際にどんどん視力が低下してしまい、父から「お前はサッカーもするんだし、眼鏡をかけるよりもレーシックのほうがいいじゃいか」と言われて、そのまま手術を受けたのです。
いや、「受けてしまった」のです…。
私はその頃、レーシック難民というものの存在をよく知りませんでした。
なんとなく、そういったこともあるのかなという想像はできたのですが、まさか自分がそうなるとは思ってもいませんでしたし、思わなかったからこそ、手術を決意することができたのです…。
私は手術後に、何だか視界がおかしい、ということにすぐに気づきました。
乱視、というのかわかりませんが、光が四方八方にぱちぱちと点滅していて、普通に歩くことができなくなっていたのです。
さらに、私は日がなドライアイに襲われるようになり、目薬が手放せなくなりました。
それでも最初のほうは、「慣れるまでに時間がかかるんだろう」と、高い手術費を捻出してくれた両親にも何も言えずにガマンしていたのですが、ある時、あまりに酷い乱視にその場にしゃがみこんでしまい、仕事にも行けなくなってしまい、それ以降、わたしはレーシック難民としての生活を始めるようになったのです。
わたしの眼は、まだ治療法が見つかっておらず、ドライアイに襲われ続ける毎日を送っています。
その他のレーシック手術の失敗例はこちらに載っています。
もし今これを読んでいる方の中にレーシック手術を考えている方がいるのであれば、なるべく有名で、患者数の多いところを受けることをおすすめします。

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